La è una sala concerti situata all'interno dell'NHK Broadcasting Center, il quartiere generale dell'azienda radiotelevisiva pubblica giapponese NHK. La sala ospita regolarmente gli spettacoli della NHK Symphony Orchestra, oltre ad altri tipi di eventi quali i Japan Music Awards (nel 1979) e lo speciale di Capodanno Kōhaku uta gassen.

La NHK Hall originale aprì nel 1955 a Uchisaiwaichō, ospitando negli anni successivi programmi televisivi musicali quali Song Plaza e Personal Secrets. Nel 1973 fu inaugurata una nuova NHK Hall a Shibuya, all'interno dell'NHK Broadcasting Center.

L'acustica della sala fu curata dalla Nagata Acoustics, mentre l'equipaggiamento strumentale è fornito dalla Toa Corporation.

Note

Voci correlate 審査方法の変遷 第1回(1951年) - 第13回(1962年) 審査員が紅白に塗り分けた団扇の優勢だと思う方をステージ上に向けた数の多かったチームが優勝。 第14回(1963年)・第15回(1964年) 各地方放送局のアナウンサーが地方審査員のポイントを公表。加えて、審査委員長のNHK芸能局長がステージ上で特別審査員のポイントを追加、公表し優勝チームを発表。会場の電光掲示板にも表示される。 第16回(1965年) - 第19回(1968年) 特別審査員が宝箱にボールを入れ、両軍司会がステージ袖に向かってボールを投げ、ボールの数の多いチームが優勝。 箱の中にはかごが2つ入っており、ラジオ第1『ふるさと自慢うた自慢』では、この方式で勝敗を決めている(審査員は3名。3回戦まで行なうためボールは合計9個)。 第20回(1969年) - 第31回(1980年) 得点集計センターのオペレーターが電話で地域代表が優勢と判断したチームを聞き、両組の得点を集計する。その後、特別審査員がスイッチで1ポイントずつ点数を入れ、地域代表の審査結果と合計した点数を電光掲示板に表示し、点数の多かったチームが優勝。 第23回(1972年)からNHKの放送会館内の特設スタジオに電話オペレーターを置き、全国数ヶ所の一般審査員制を導入。この方式は3年後の第26回(1975年)から復活し第31回まで行われた。 第20回(1969年) - 第31回(1980年) 地方審査員(全国400名) 会場の9名の特別審査員と専用回線を使った400名のお茶の間審査員の二段方式となった (お茶の間審査員制度は第31回(1980年)まで続く)。 一般審査員40名 電光掲示板による勝負判定は、今回で一旦区切りをつけた(抽選で選ばれた視聴者からの電話を得点集計センターで集計)。翌年の第32回から「日本野鳥の会」による得点集計に移行した。得点集計センターのオペレーターが電話で地域代表が優勢と判断したチームを聞き、両組の得点を集計する。その後、特別審査員がスイッチで1ポイントずつ点数を入れ、地域代表の審査結果と合計した点数を電光掲示板に表示し、点数の多かったチームが優勝。 第23回(1972年)からNHKの放送会館内の特設スタジオに電話オペレーターを置き、全国数ヶ所の一般審査員制を導入。この方式は3年後の第26回(1975年)から復活し第31回まで行われた。 第32回(1981年) - 第52回(2001年) 客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカード(第32回(1981年)はカード。団扇には組司会の似顔絵が描かれている)で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は、第45回(1994年)まではその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表していたが、第46回(1995年)以降は代わりに緑色のユニフォームを着用した珠算有段者数名が野鳥の会と同じ場所で集計を行って総合司会が得票数を発表していた。第46回(1995年)までは階毎に分けて発表していたが、翌第47回(1996年)以降は全階一緒に発表するかたちに変更している。 団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。籠は第40回(1989年)から一時期はアシスタントの女性に持たせて司会者はボールを投げるだけの回があったが、それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第37回(1986年) - 第42回(1991年)の審査は毎年異なっており客席全体での団扇を用いた審査はこの間は行われなかった。 第37回(1986年)ではゲスト審査員はテーブルに備え付けられたボタンを押して審査、そして事前の応募から抽選で選ばれた全国500世帯の家族が電話での審査、全国8か所に設けた地方審査会場では100人が従来の団扇を使った審査、これら3要素の審査(地方審査・家族審査は持ち点が1点ずつで合計1300点、ゲスト審査員の持ち点は1人20点ずつで合計200点、全て合わせて1500点で、これを上回る得票数を獲得した組の優勝)を集計して中央の巨大CRTモニターに得票数を帯グラフで表示する方式だった。 第38回(1987年)・第39回(1988年)ではゲスト審査員と各エリアから選出された地方審査員がテーブルに備え付けられたボールを紅白どちらかの穴に投入、テーブルの左右側面に開けられた穴から籠に排出され、その籠を回収する形だった。 第40回(1989年)は後述する要領によるゲスト審査員・地方審査員のボールだけで勝敗を決めていた。 第41回(1990年)ではゲスト審査員は後述の要領、そしてNHKが無作為で決めた全国200世帯の家族審査員に配った「テレビアンケートシステム」と呼ばれる電話回線を活用した機器(家庭のテレビに取り付ける)を用いた審査、各階の客席に3人ずついる審査員が番組ロゴが描かれた紅白の札を挙げる客席審査の3つ。なお、客席の審査員が誰かは本人含め観客全員に対して事前に知らせておらず、客席の椅子の裏にランダムで隠されたプレートを見つける事で初めて分かる形だった。後者2つの審査で優勢だった方にボールが3つずつ加算される。 第42回(1991年)では、今回はゲスト審査員のほか、無作為抽出による全国600世帯の視聴者モニター、会場の観客も審査に参加。なお、観客審査員の得点集計は例年のうちわやボードといった手法ではなく、観客席の真上に浮いているUFO型の模型に内蔵されたマイクにより観客の歓声を拾い集め、どちらの組により多くの歓声が集まったかをデシベルの単位で数値化し、その数値の高かったチームに会場審査員票を加算するというユニークな方式が採られた。 第37回(1986年) - 第39回(1988年)を除いてゲスト審査員(第40回(1989年)は地方審査員も)は審査席から立って黄色のボールをステージ下の箱に入れた紅白別の籠の中へ入れていく投票方式のシステムだった。途中まではボールを入れた後はそのまま審査席に戻っていたが、後年はエンディングに歌手・司会者と一緒に審査員もステージに上がるようになったため、ボールを入れた後にそのままステージへと上がっていくように動線が変えられた。 なお、日本野鳥の会がこれを担当したのは第32回(1981年) - 第36回(1985年)と第43回(1992年)であり、第44回(1993年) - 第53回(2002年)、第64回(2013年)、第65回(2014年)、第67回(2016年)は麻布大学野鳥研究部が担当している。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っていた。 第32回(1981年) - 第52回(2001年) 今回から客席審査のカウントによる審査方法となった。今回では日本野鳥の会による客席審査カウントが行なわれ、日本野鳥の会は以後第36回まで集計を担当し、第43回(1992年)にもカウント集計作業を行なっている。ほか地方審査員のみなさん16名と会場審査員(NHKホールの観客全員)会場審査員(NHKホールの観客全員) 客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカード(第32回(1981年)はカード。団扇には組司会の似顔絵が描かれている)で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は、第45回(1994年)まではその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表していたが、第46回(1995年)以降は代わりに緑色のユニフォームを着用した珠算有段者数名が野鳥の会と同じ場所で集計を行って総合司会が得票数を発表していた。第46回(1995年)までは階毎に分けて発表していたが、翌第47回(1996年)以降は全階一緒に発表するかたちに変更している。 団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。籠は第40回(1989年)から一時期はアシスタントの女性に持たせて司会者はボールを投げるだけの回があったが、それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第32回(1981年) - 第36回(1985年) 今回から客席審査のカウントによる審査方法となった。今回では日本野鳥の会による客席審査カウントが行なわれ、日本野鳥の会は以後第36回まで集計を担当し、ほか地方審査員のみなさん16名と会場審査員(NHKホールの観客全員)会場審査員(NHKホールの観客全員) 客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカード(第32回(1981年)はカード。団扇には組司会の似顔絵が描かれている)で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は、第36回(1985年)まではその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表する。 団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第37回(1986年) - 第42回(1991年)の審査は毎年異なっており客席全体での団扇を用いた審査はこの間は行われなかった。 第37回(1986年)ではゲスト審査員はテーブルに備え付けられたボタンを押して審査、そして事前の応募から抽選で選ばれた全国500世帯の家族が電話での審査、全国8か所に設けた地方審査会場では100人が従来の団扇を使った審査、これら3要素の審査(地方審査・家族審査は持ち点が1点ずつで合計1300点、ゲスト審査員の持ち点は1人20点ずつで合計200点、全て合わせて1500点で、これを上回る得票数を獲得した組の優勝)を集計して中央の巨大CRTモニターに得票数を帯グラフで表示する方式だった。ほか全国500家族の家族審査員と8会場(北海道勇払郡占冠村/青森県黒石市/東京都台東区浅草/三重県度会郡二見町(現:伊勢市)/大阪府大阪市南区(現:中央区)/広島県佐伯郡宮島町(現:廿日市市)/愛媛県松山市/長崎県長崎市)100名ずつ計800名の地方審査員 なお地方審査員と家族審査員は持ち点が各1点で合計1300点、またNHKホールの特別審査員は1人20点で合計200点、総計1500点で優勝が争われた。今回の勝敗判定は第31回(1980年)以来6年ぶりにボール投げではなく、中央の巨大CRTモニターに得票数を帯グラフで表示する方式だった。 第38回(1987年)・第39回(1988年)では ほか地方審査員のみなさん16名 ゲスト審査員と各エリアから選出された地方審査員がテーブルに備え付けられたボールを紅白どちらかの穴に投入、テーブルの左右側面に開けられた穴から籠に排出され、その籠を回収する形だった。 第40回(1989年)は ほか地方審査員のみなさん16名 後述する要領によるゲスト審査員・地方審査員のボールだけで勝敗を決めていた。籠は一時期はアシスタントの女性に持たせて司会者はボールを投げるだけの回があったが、それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。 第41回(1990年)では客席審査員9名 家族審査員(全国200家族)ゲスト審査員は後述の要領、そしてNHKが無作為で決めた全国200世帯の家族審査員に配った「テレビアンケートシステム」と呼ばれる電話回線を活用した機器(家庭のテレビに取り付ける)を用いた審査、各階の客席に3人ずついる審査員が番組ロゴが描かれた紅白の札を挙げる客席審査の3つ。なお、客席の審査員が誰かは本人含め観客全員に対して事前に知らせておらず、客席の椅子の裏にランダムで隠されたプレートを見つける事で初めて分かる形だった。後者2つの審査で優勢だった方にボールが3つずつ加算される。紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第42回(1991年)では、今回はゲスト審査員のほか、無作為抽出による全国600世帯の視聴者モニター、会場の観客も審査に参加。なお、観客審査員の得点集計は例年のうちわやボードといった手法ではなく、観客席の真上に浮いているUFO型の模型に内蔵されたマイクにより観客の歓声を拾い集め、どちらの組により多くの歓声が集まったかをデシベルの単位で数値化し、その数値の高かったチームに会場審査員票を加算するというユニークな方式が採られた。ゲスト審査員に加えて、全国600世帯の家族審査、UFO型の風船(この回のオープニングにも演出として登場していた)に取り付けた集音マイクを使って「どちらの組が良かったか」という問いかけに対する歓声がより大きかった方で決める客席審査の3つだった。紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第43回(1992年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数はその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表している カウント集計作業を行なっている。なお、団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第44回(1993年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数はその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表している カウント集計作業を行なっている。なお、団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第45回(1994年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数はその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表している カウント集計作業を行なっている。なお、日本野鳥の会が担当している。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っていた。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第46回(1995年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数はその年のそろ盤日本一が暗算して自ら発表している カウント集計作業を行なっている。なお、日本野鳥の会が担当している。代わりに緑色のユニフォームを着用した珠算有段者数名が野鳥の会と同じ場所で集計を行って総合司会が得票数を発表日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。階毎に分けて発表している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第47回(1996年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第48回(1997年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第49回(1998年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第50回(1999年) 客席審査員(NHKホールの客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第51回(2000年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第52回(2001年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っている。観客が優勢と判断した色のうちわやカードで示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会会員が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は全階一緒に発表するかたちに変更している。団扇の得票数が多かったチームにボールが加算され、ゲスト審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの籠に加えられたボールを両軍の代表者(当初は両軍の歌手キャプテンが行っていたが、後に両軍司会に変更)が客席に向かって投げる。それ以外は籠を司会者自ら持ちながらボールを投げていた。ボールの個数の多かったチームが優勝。 第37回(1986年) - 第39回(1988年)を除いてゲスト審査員(第40回(1989年)は地方審査員も)は審査席から立って黄色のボールをステージ下の箱に入れた紅白別の籠の中へ入れていく投票方式のシステムだった。途中まではボールを入れた後はそのまま審査席に戻っていたが、後年はエンディングに歌手・司会者と一緒に審査員もステージに上がるようになったため、ボールを入れた後にそのままステージへと上がっていくように動線が変えられた。 なお、日本野鳥の会がこれを担当したのは第32回(1981年) - 第36回(1985年)と第43回(1992年)であり、第44回(1993年) - 第53回(2002年)、第64回(2013年)、第65回(2014年)、第67回(2016年)は麻布大学野鳥研究部が担当している。日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っていた。 第53回(2002年)、第54回(2003年) デジタル放送(第53回からはBSデジタル放送、第54回からは地上デジタル放送でも)の双方向機能を利用したお茶の間審査員による投票が行われるようになった(リモコンで紅組の場合は赤ボタン、白組の場合は青ボタンを押して投票)。客席審査同様、お茶の間審査で優勢だったチームにボールが2個加算される。 申し込みの際、デジタル総合テレビとデジタル衛星ハイビジョンが両方受信できる場合はどちらか一方のチャンネルのデータ放送で申し込みすればデジタル総合テレビ・デジタル衛星ハイビジョンのどちらでも双方向通信による投票が可能である(受信機1台に付き、1回の申し込みで可)。地上デジタル放送が受信できない地域(第54回の場合はデジタル放送が視聴できた東京都内・愛知県内・大阪府内のごく僅かのエリアを除く全都道府県の世帯)ではデジタル衛星ハイビジョンのデータ放送からの申し込みとなる。 客席審査員(前者は観客の一部、後者は観客全員)はボールを使う投票方式。これは、『爆笑オンエアバトル』の方式によるものである(詳細は爆笑オンエアバトル#審査方法を参照)。双眼鏡を使っての計測が一時姿を消すことになった。その後、第64回(2013年)でこの計測が復活する。 第53回(2002年) 客席審査員(NHKホールの観客全員)BSデジタル審査員(BShiデジタルの視聴者)今回からBSデジタルハイビジョン(以下BShiデジタル)の視聴者によるお茶の間投票が開始された。デジタル放送(第53回からはBSデジタル放送)の双方向機能を利用したお茶の間審査員による投票が行われるようになった(リモコンで紅組の場合は赤ボタン、白組の場合は青ボタンを押して投票)。客席審査同様、日本野鳥の会および麻布大学野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。いずれも紅白それぞれのジャケットを着用し、上手・下手の進行席に分かれて集計を行っていた。お茶の間審査で優勢だったチームにボールが2個加算される。 申し込みの際、デジタル総合テレビとデジタル衛星ハイビジョンが両方受信できる場合はどちらか一方のチャンネルのデータ放送で申し込みすればデジタル総合テレビ・デジタル衛星ハイビジョンのどちらでも双方向通信による投票が可能である(受信機1台に付き、1回の申し込みで可)ではデジタル衛星ハイビジョンのデータ放送からの申し込みとなる。 客席審査員(前者は観客の一部)はボールを使う投票方式。これは、『爆笑オンエアバトル』の方式によるものである(詳細は爆笑オンエアバトル#審査方法を参照)。 第54回(2003年)